『綴り字のシーズン』(Bee Season) / リチャード・ギア、ジュリエット・ビノシュ、フローラ・クロス

監督 :
スコット・マクギー
デヴィッド・シーゲル
特に目立つ人たち :
リチャード・ギア
ジュリエット・ビノシュ
フローラ・クロス
マックス・ミンゲラ
おれが観たあらすじ :
一度ほつれた糸は、もう一度結ぶまで広がりの一途をたどるっていう様。

 いつもぽっこり忘れる映画。
 タイトルすら忘れる。
 たしか “ 文字 ” に関係あったよなっていうぐらいしか頭にない。
 そんな≪ゲオ≫の昼下がり。

『綴り字のシーズン』観賞履歴 & 感想のまとめ。

  1. “ 家族 ” も “ 人 ” も、ひとつの文字でできてるわけでなく、ひと文字ひと文字の “ 綴り ” からなってるんだな。

 やっと観た!! やっと観たの!!


 ……という出だしで、せっかく書いた原稿用紙4枚以上はくだらない超長文を、間違って消してしまった。

 嗚呼 ──────── 今、すっげぇ心臓がドキドキしてる。

 もう同じのなんて書けない。あんなの半分も憶えてねぇ。

 そんなわけで、ある程度憶えてる範囲と、それなりにいいこと書いてたよなっていうところだけを、なんとかひねり出しながら書いていこうと思いまっつん。


 家族 ────
 秘密 ────
 孤独 ────
 そして、崩壊と補修 ────

 その先に見えたのは、やっぱり “ 自己 ” かなと。

 この家族、一見まるで問題なさそうなんだけども、それぞれの部分によくよく目を凝らしてみると、きめ細かな問題のかけらが散乱してる。
 でも、それが一人の人間であり、家族でもあるのかなと。
 “ 人 ” という字は、なにがどう支え合っていようが、そんな子供騙しの手品みたいなことなんてどうでもいいのよ、実際。
 崩壊のときには気休めなんていらねぇんだな。


 なにかが崩壊していくには、きっかけというものが必ずどこかしらにあるものだけど、きっとそれはだれのせいでもなくて、だれかのせいにしたいだけなんだなと思える。
 そう、そしてそのきっかけっていうのは、いつだって、いつのときも “ 過剰な期待 ”。
 自分の弱さ、自分はできなかったこと、自分がやりたいこと、そんな自分自身の気持ちを相手に投影してしまうとき。
 この映画のなかの家族もそう。

 人それぞれに考え方や常識、よく使われる “ 普通 ” っていう言葉ににじみ出るその人自身の経験ってのはあるだろう。おれもある。
 おれは、自分から言おうが人から強制されようが、一度 “ やる ” って言ったことは、最後まで手抜きなんて一切せず “ やれ ” と思う。“ 他人事だと思って…… ” なんて言う人が多いけど、それは違う。“ 他人事だから ” こそ、手抜きなんてできない。
 自分のことなら、いくらでも手抜きしようが構やしないんだ。

 そう、無理なく自分ができる範囲で、精一杯やればいい。
 ただ、そこに、そういうそれが少なからずでも入りこんでしまうと、蝕まれるようにして崩れていく。
 たとえば、晴れて恋人どうしになり、二人の交際はスタートした。順風満帆。ラブラブな日々である。
 とはいえ、季節はずれの雨がしめやかに降るある朝。
 恋人っていう人間関係っつーのは、お互いの気持ちの問題だ。それは “ 雨 ” であり、“ 雨音 ” でもある。
 “ 普通恋人どうしなんだからもっとマメに連絡してくるでしょ ” なんて相手にぶつけてしまうのは、お門違いもいいとこだと思うわけ。
 それはあくまで自分の期待で、“ そうしてほしい ” っていう気持ちの押しつけでしかない。“ 普通 ” や “ 常識 ” なんていうのは、聞こえのいいわがままでしかないわけだ。
 その返し言葉に “ あなたの普通がみんなに通用するわけじゃない ” っていうのはあるけど、まあ、それはそれで、それは受け入れられないっていう自分のわがままでもある。
 お互いに欲が出てきて無理が生じーの、その期待がお互いの気持ちを邪魔するわけだ。
 そう、お互いが “ 好き ” になることには、無理なんかなかったはずなんだ。


 ……っと、ちんぽが反れた。
 気分転換に豆知識を取り入れよう。

自分のための豆知識

  • Spelling bee
  • 参加対象は16歳以下の小中学生。
  • 参加者は、アメリカだけにとどまらず、ヨーロッパやカナダからも来るらしい。
  • 地区の予選を経て、その地域代表が全国大会に出場し、6段階のコンテストののちチャンピオンが決まる。
  • スポンサーは、予選勝ち抜きのときからつき、出身地域の新聞社やメディア関連の企業が多い。否応なく、有名人。

 うむ、たしかにこの映画のなかでのフローラ・クロスも、あっちゅー間に有名人になってたもんな。
 でもそれが発端だったわけだ。
 ある者は才能が、ある者は嫉妬が、またある者は孤独が、そしてみんなの期待が。


 登場人物について触れてみよう。

 度肝抜かれたのは、二もなく三もなく、娘イライザ役のフローラ・クロス。
 それはそうよ、それはあれさ。

 生まれもっての “ あひるグチ ” !!!!!!!!!!
 そしてそして、ぷっくりプチッとした “ ケツあご ” !!!!!!!!!!!!!!

 いやいや、そうじゃ ──── いやいや、それは8割そうだけども、ものっすごい透明感。
 この子の存在感はハンパじゃねぇ。
 透きとおるような、吸い込まれるようなとはまさにこの子のこと。
 すっげぇ可愛い!! なまら愛でてぇ……
 ミステリアスっつーのか? エキゾチックとはちょっと違うかな?
 一体全体なんなんだい、きみは? 生きた天使なのか? まぶたを閉じなくても見えるエンジェルなのか?
 インチキ占い師の使う水晶玉って感じ。
 インチキなのは占い師。そういうやつが使うから、なんか胡散臭い感じに見えるけど、水晶玉はあくまで水晶玉だ。
 果てしない微笑みと思いやりの心をくれる雰囲気持ってるな。

 で、今現在ぐらいの写真も見たわけだけども、小悪魔じゃねぇ ──── もう、悪魔だ。魔女だ、魔女。
 サタンは、もっとも美しい天使がなったんだそうだ。
 そういえば、お母さん役のジュリエット・ビノシュにすげぇ似てきてる。

 しかしまあ、個人的にはやっぱりこの『綴り字のシーズン』然り、幼少のころのフローラ・クロスに魅力を感じる。
 劣ってきてるんじゃなく、勝りまくってしまってるわけ。
 今にも消えてしまいそうなほどに純粋で無垢な雰囲気ってどうなのよ?


 とはいうものの、ジュリエット・ビノシュは、この映画でも相変わらずのエンジェル感。
 純粋で繊細が故の問題をはらんでた。
 ともすれば、この映画のなかでは、母であり妻であり、その家族の一員であるはずの彼女から、一番 “ 孤独 ” っていうものを感じたのがこの人。
 たぶんそれは、この人の抱える “ トラウマ ” のせいだけじゃない。
 なんだか馴染めない。馴染もうともしてない。なぜだか距離をおくように接してる。
 映像に映ってるものだけを見る限りでは、“ 家族 ” というものに怯えてるようにも見えた。

 そう、最初は、ジュリエット・ビノシュも、子供のころに同じ現象を体験してたのかっていう伏線も考えた ──── 単語のことを思い浮かべると、だれかの “ 声 ” がするの ──── っていうあれだ。
 今でもそうなのか。むしろ、同じく天才とも呼ばれるような才能、あるいは同じだったのか。
 ──── 違いそうだ。
 夫婦間のすれ違いによるものだとおれには見えた。過去うんぬんじゃなくて、現在進行形の溝。
 子供の才能に溺れてる夫としか見えず、妻である自分を見ていない ──── わたしを見てほしい。わたしを愛してほしい ──── 孤独と不安。
 それを紛らそうとしたのが、あの奪うようにして交わした衝動的なセックスの描写なんじゃないか。

 しかし母親でもある自分自身が、父親から子供を “ 盗む ” わけにもいかない。
 でも子供を愛してるのか、愛せてるのかすら自分自身わからなくなってしまってるかもしれないという恐怖。
 この人は、自分に生まれた期待ではなく、人の期待が不安となって自分のなかに入ってきてしまったわけだ。
 ジュリエット・ビノシュは、人に救われないと救われない穴のなかにいた。


 リチャード・ギアに関しては、ひっさびさにカッコいいリチャード・ギアを見たって感じ。
 おれが一番そう感じたのは、カップを手に敷居の柱に寄りかかってるシーン。
 あれはマジでカッコいい。デキる男と、優しく思いやりのある男が、同時公開されてる。
 ありゃ惚れるわ。
 でも自分の期待に突っ走って、欲に勝てない潜在的な超イタメン。
 そんなとこもカッコいいと映ってしまったのは、リチャード・ギアだから。
 あぁ~、おれも早く、ちまちま白髪頭からオール・ロマンスグレーの色香あふるる男になりてぇなぁ~……

 そして息子のアーロンな。
 同じ家族の一員でありながら、極めてその存在が目立たない。
 でも、物語を絶妙に引き立ててる。
 いわば、名脇役と言えようぞなもし。

 まぎれもない嫉妬。そして、逃避。
 息子としての甘えと自尊心。
 だけど、兄としてとか兄らしくとか、兄という立場があって、それでいて妹に優しさと思いやりを以て接しようっていう自分自身の板ばさみになってるところが、すっげぇリアルで人間くさい。
 誇りに思うし祝ってもやりたいけど、手放しではそれができない。
 ん~、嫌いじゃない。感情移入しやすいところでもある。

 期待されてた人間からそれが消えると、自分の存在意義みたいなものまで見失ってしまいそうになるっていう人間のもろさ。
 期待がプレッシャーになり、時に邪険で、時に依存しがちにもなる。
 そんななか、自己啓発っていうか、自分らしさというか生き甲斐というか、そういうものを探そうと必死にもがいてる。
 ん~、実に微笑ましいね!!
 ある程度の枠と重圧がないと、自分の足が地面を踏まない人間。


 しかしながら、おれが見たこの家族の最大の問題は、それを “ 言葉 ” にして表現できないことだと思うわけよ。
 外に出せない。口にだせない。言いだせない。
 思ってるだけで伝えられない。
 それぞれにいろんな気持ちがごちゃ混ぜになって、自分が思ってることとは別の形で表れてしまう。

 でもどうだろう?

 それが今現在ある家族の姿 ──── “ 普通 ” ──── っていうことなんじゃなかろうか。
 “ 見ず知らずの他人のほうが意外になんでも話せる ” っていう人、多いんじゃないだろうか。
 それを思いっきりリアルに表現してる。

 そう、この映画は、そこが実におもしろいのねぇ~。
 と、感動と。

 ヒジョ~~~~~~~~に、うまい。
 映画のテーマである “ 文字 ” ──── いや、あるいは “ 言葉 ” の持つ力との結びつけも、めっちゃめちゃうまい。
 宗教的な側面もうなずけるってなもんだ。


 “ 文字 ” には全宇宙の神秘が秘められてるんだ

 ん~、ナウマン教授の言葉、心にズシ~ンと響きました。同意見です。
 ん~、おれはこうも思う。

 “ 言葉 ” を制する者は、世界を制す

 まあ、似たり寄ったりに聞こえるな。
 でも違う。
 それは “ 文字 ” じゃない。あくまで “ 言葉 ” なんだな。
 書いたりするんじゃなく、感じること。
 映画のなかでもそう言ってるけど、なんか違う。

 “ 文字 ” はたしかに神秘的で、最大の芸術だとはおれも思うけど、芸術すらイマジネーションは超えないのだ。
 チャゲアスの『 Say Yes 』で “ 言葉は、心を超えない ” と言ってるように、歌詞は二人のハーモニーを超えないわけだよ。
 言葉を制すれば、本当に世界を制することはできるかもしらんけど、本当にそうしたいわけじゃなくて、願いや真意、その人に本当に感じてほしいことはもっともっと別のところにある。
 何度も何度も、何度も何度も言えることと、言いたいこと、伝えたいことは、必ずしも同じとは限らなくて、もっともっとそれ以上の気持ちがあるから言葉が出てくるわけなんだな。


 “ 救う ” とか “ 善 ” っていうのを考えると、やっぱりどうしても、まず “ だれかを ” っていうのを思い描いてしまう。だれかに対しての、それ。
 でも、そういうときってのは、だれより自分自身がそれを求めてるときなんだな。自分自身の “ 声 ” に耳を傾け、自分自身の “ 声 ” を聞いてるわけだ。
 そして、いつかそれに気づいてそれができたとき、きっとだれかが、どこかで同じように感じてくれてるはずなんだな。

 今その “ 言葉 ” は、だれがにぎっているんだろうか?

 きっとだれもが持ってる。
 そしてそれは、“ 言葉 ” じゃないのかもしれない。


 ……全文消えてしまうというあまりの落胆に、不本意ながら超手抜きになってしまったこと、深くお詫び申し上げ。

キャスト詳細情報

原題 :
『 Bee Season 』
原作 :
マイラ・ゴールドバーグ (Myla Goldberg) / 『綴り字のシーズン』(東京創元社刊) : " Bee Season " (Novel)
監督 :
スコット・マクギー (Scott McGehee)
デヴィッド・シーゲル (David Siegel)
製作 :
アルバート・バーガー (Albert Berger)
ロン・イェルザ (Ron Yerxa)
ドクター・ウィンフリード・ハマチャー (Dr. Winfried Hammacher)
製作総指揮 :
ジョシュア・デイトン (Joshua Deighton)
アーノン・ミルチャン (Arnon Milchan)
ペギー・ラジェスキー (Peggy Rajski)
マーク・ロマネク (Mark Romanek)
脚本 :
ナオミ・フォナー・ギレンホール (Naomi Foner Gyllenhaal)
撮影 :
ジャイルズ・ナットジェンズ (Giles Nuttgens)
衣装デザイン :
メアリー・マリン (Mary Malin)
編集 :
ローレン・ザッカーマン (Lauren Zuckerman)
音楽 :
ピーター・ナシェル (Peter Nashel)
出演 :
リチャード・ギア (Richard Gere) / ソール・ナウマン (Saul Naumann)
ジュリエット・ビノシュ (Juliette Binoche) / ミリアム・ナウマン (Miriam Naumann)
フローラ・クロス (Flora Cross) / イライザ・ナウマン (Eliza Naumann)
マックス・ミンゲラ (Max Minghella) / アーロン・ナウマン (Aaron Naumann)
ケイト・ボスワース (Kate Bosworth) / チャーリ (Chali)

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