- 監督 :
- リチャード・エアー
- 特に目立つ人たち :
- ケイト・ブランシェット
- ジュディ・デンチ
- おれが観たあらすじ :
- 15歳の少年と肉体関係を持った教師と、そのまわりの教師、そして大分類としての親や家族といった人間たちの愛憎物語。
スキャンダラスな恋に妄想を抱くこの頃のおれ。
とはいえ、ただ無気力だったひとときにケイト・ブランシェットのセックス姿でもと、かるい気持ちで取り上げてしまった映画。
さらに無気力になった。
『あるスキャンダルの覚え書き』観賞履歴 & 感想のまとめ。
- 第1回目観賞 : その勇気に、おれは嫉妬すら覚えた。
いやぁ~、イイ!! 実にイイ!!
たいィ~へん、けっこう!!
女がイカレると、こんなにもおもしろいもんかね!!
まあまあまあまあ……
愛にイカレた女って、ホント最高だね!!
彼女の恋の相手は15歳だった
──── だからなんだ?
15歳だったから、なんなんだ?
ちょっと法に触れたってだけでしょう。
“ 禁断の愛 ” ? “ 禁断の関係 ” ? 情事?
笑わせるねぇ~。
ケイト・ブランシェット、本当に大好き。惚れてる。
美貌、そして品。
この映画のなかでも言われてるけど、“ 妖精 ” っていう表現がとても似合う。白すぎる肌に、はっきりしてるけどぼやけたようなお顔立ち、全身の華奢なライン。
当然、気高い貴族とかクイーンとかは似合う。
でも、イカレ女やらせたら、この人の右にも左にも出る人なんていなかろうて……
ん~、いや、“ イカレ ” っていうよりは、ちょっと病んでる感じかな。
“ キレちゃってる女 ” だな。
ブルース・ウィリスと共演した『バンディッツ』観たときは、本気でおれ “ あ、惚れたろ、おまえ…… ” って自分につぶやいたもんな。
これまた映画のなかでも言われてるけど、ミステリアスで怖くなるほど繊細そうな空気……
ん~、ケイト・ブランシェットのそれは “ 愚か ” じゃないよな。むしろ、人の “ 嫉妬を買う ” っていうほう。
たまりませぬ。
そして『007』シリーズのジュディ・デンチ。
いいねぇ~……
テロリストみたいなイカレ具合がまたたまんねぇ。
頭よすぎるんだろうな、たぶん。この人。
妄想がもう完全にいきすぎてるし、人の本心、あるいは本質を見抜く力がありすぎる。たぶん日記に記されていくあの分析は間違ってないはず。
ただ、それを突きつけられた側の人間にとって、“ 認めたくない ” っていう部分を突き刺してるだけなんだろうな。
まあ、自分に都合よく歪められてるところは多々あるかもしれないけど、痛いから突っぱねられてしまうんだろう。
二人のイカレた女っていうより、歪んでるのはどっちもだな。
歪み方が違うっていうだけで、どっちも不安定な部分が大きいっていうだけのことだ。
“ 渇き ” の見えるところが違う。
しかし小僧……この小僧!!
いやぁ~、うまいことつけこんだねぇ~……やるねぇ~、きみ……きみ!!
四十代、三十代の人妻な!! 特に、美人に限ってそうなんだよな!!
若者 ──── 特に小僧 ──── がつけいるには、うってつけの獲物だよな。
妻であり、母。
これといった不満はない。でも、なにかが物足りない……女である自分。
そこに現れるまだなにも知らなそうで知ってる少年のような男。大人なようで子供な存在。
知ってか知らずかこの小僧……単なる欲望のままに近づいたのか、はたまた自分の挑戦か。
男にとってのキーワードは “ 初めて ” 。
でも女のそれは、それもあるけど、それ以上に燃えさせるのが “ もう一度 ” ってやつなんだな。
いやぁ~、うまかったねぇ~、あの小僧くん。
まあね、AV とかエロ小説にありそうな展開ではあるし、実際にはそうそううまくいくもんじゃ~ない。
……じゃあ、フェラは?
あれはさすがに笑った。でも、人間どうしの恋愛において、あり得ないなんて思っちゃってる自分があり得ないのだな、まず。
その勇気に乾杯だ。
んなこと先生に訊ける中学生なんていねぇだろ、実際? 外国じゃ違うのか?
まあ、少なくとも日本じゃいねぇだろうな。
けども、うまいと思った。
ちょっとした演出と脚色を加えることで、またうまいこと、さらには母性にまでつけいりやがってよォ~……ホント芸が細かいな!! 小僧のくせに憎いね、憎いね、このこのォ~!!
“ 女 ” の部分を刺激し、“ 母 ” の部分をくすぐる……
首に両手を添えて “ 美しいよ。自分で気づいてないんだ ” なんておまえ……おォ~んま……
おれもこれぐらいストレートでわかりやすい巧みなクソガキだったら、もっともっとスキャンダラスな肉体関係で淫らに乱れて……嗚呼、なんと!!
そして “ 言葉 ” !!!!
遠まわしな表現はもう結婚もして大人になって、社会的にも家庭のなかでもあふれてる。
そこに直接的でストレートで露骨な物言いで求められることの喜び。
ものすごくヤリたい……熱いアソコを思ってるよ……早くヤリたい……
まま、ちょっと “ それはさすがにやりすぎだろう ” っていう言い方もあったけど、それはそれで女の人としては嬉しいのかなとも思える。笑っちゃうけど、実際にはまんざらでもないって感じだろうな。ジュンってなっちゃうかな?
大人としての余裕と優越感からくる “ しょうがないわね ” っていうやつだな。そして、直球で訴えてくる衝撃。
“ 逢いたい ” なんていう精神的な訴え、曖昧な感情じゃない。もっと露骨で具体的な欲求。
花束を突きつけられるより、尻の割れ目にちんぽをこすりつけられるほうが感じるよね。
体を求められるっていうことは、精神的にも求めてるということになる。それが脳みそに直結した信号を送るわけだ。たとえそれは、期待や不安がもたらす錯覚だったとしても。
そう、肉体 ──── 芽の上のたんこぶ ──── をがむしゃらに求めてくれることへの喜びだな。
時とともに豊かになっていく精神とは裏腹に、自分でもわかるほどに衰えていくそれへの渇望。切望。
そして、羨望。
貪欲で必死。自分自身に一生懸命になってくれることへの優越感。
快楽のともなわない穏やかさじゃなく、快楽を貪る激しさ。
大きな穴を包んでくれるんじゃなく、小さな隙間が埋まる充足感。
たぶんそっちのほうが精神的には大きいこと。
そして、不安。
そう、それこそが “ もう一度 ” っていう精神的なキーワードに直結してるわけだ。
そうなりゃそんな、途中で抜け出せるなんてはずもない。一度足を踏み入れれば、あとはドツボにはまるだけだ。
女のほうが快楽の奴隷になりやすい。これは間違いない。しかも “ もう一度 ” っていうキーワードを抱いていれば、なおさら。
そして快楽は、泥沼のように体にまとわりついて、芯を深みへといざなう。
脳を埋め尽くすのは、快楽である。
もうあんな先生との情事が日常茶飯事なら、小僧も学校が楽しくて楽しくてしょうがねぇよな。おれだったら遅刻すらしねぇ。むしろ早出の毎日だ。
でもよく言った!!
遊びが本気になったらマジでやばいことになる。
火遊びはたいがい火事になるもんだよ。
んだんだ、小僧にとっても遊びでしかなかったわけだ。
まま、なんとなく大人びた雰囲気があって、逆に無垢そうな感じが、嘘だったな。おまえは絶対に育ちがいい。いいとこのボンボンてのが全身に出てる。
小僧、おまえは嘘がヘタだ。
でもねぇ~……時にそれを隠してしまうもんだよな、渇きって。
人間の心を引き寄せるのは言葉であり、その尾を引っ張るのは、快楽である。
人間っていう不安定な存在の、さらに不安定な部分を、露骨に、かつ具体的に表現してる映画。
そして観る側にも、あとからこうやって分析して、客観的に考えて、哲学なことまでくっつけたりしながら、曖昧な自分の中身について考えさせる。
一見、ジュディ・デンチが完全にイッちゃってるように見えるけども、ケイト・ブランシェットもかなり不安定の度がすぎてる。
時間とともに衰えてゆく肉体と、同じようにして実ってゆく精神。
それが、快楽と孤独。
孤独に執着しつづけてきたジュディ・デンチと、もう一度快楽に執着してしまったケイト・ブランシェット。
どちらの姿も、受け入れがたいっていうだけで、ごくごくありふれた姿じゃないだろうか。
だれもが執着と愛情のあいだで行ったり来たりしながら、揺れてる。
いつかどこかで失ってしまったものの喪失感を、また埋められる絆を捜し求めながら、人はもう一度生きていこうとするもんだ。
若すぎる相手との不倫。法に触れる肉体関係。
たしかにこれは、ある一人、または二人のスキャンダルかもしれない。
でも、その内容は、人間だれしもが抱えるスキャンダルとなりうるものだ。
ごくごくありふれただれもの日常のなかで待っている。待っている。待っている。
なにかと精神的な面を浮き彫りにする映画が多いけど、これは、あくまで肉体と精神とがつながってる部分を絶妙なサジ加減でうまく表現してる映画じゃないかと思う。
一つの娯楽としても、ある一つの物語としても、実に素晴らしい。
ジュディ・デンチ、ケイト・ブランシェットで、なお素晴らしい。あまりにも人間らしい姿に、なぜだか涙が出ちゃいそうだった。
なんだかまた少し、心が豊かになれた気がする。
人生、なお実りある。
人間だれしも、ふと感じる隙間風のような孤独に吹かれてる。
だれかを愛した記憶もあれば、愛された記憶もあって、そこには一生懸命さだったり夢中な自分の姿もあった。がむしゃらになにかを求めたときもあった。そして、心を失いかけてしまいそうになったときもあっただろう。
若さへの憧れはだれもが抱いてて、もう一度取り戻したいものもだれしも必ず一つぐらいは抱えてる。
そして “ もう一度 ” それを取り戻せるかもしれない機会が訪れたとき、抗えない自分を受け入れ、自分自身の正直さに気づいた。
自分が傷つき、だれかを傷つけてしまったとしても。
まあ、結局なにが言いたいかっていうと、それを非難するのは、そこへ踏み出せない人間だってこと。
嫉妬に駆られた人間の姿が目に、そして鼻についた。
スキャンダルの渦中にいる人物と、それを取り巻く人たちの姿もまた、この映画の見所だな。
人間て、これほどまでに愛おしくて、これほどまでに疎ましいもんか。
シーバ・ハートにとって、それは後悔となったのか?
そこを自分がどう見たか、見えたかによるのかな。
おれには、先に立たない後悔は、あとにも後悔にはならないと見えた。
たぶんこの映画を観たら、自分の内面に潜むいやらしさに気づくことになると思ふ。
そして、自分はあり得ないと倫理的に正しいと恍惚感を味わいながら、他人事だとホッと胸を撫で下ろすだろう。
キャスト詳細情報
- 原題 :
- 『 Notes on a Scandal 』
- 原作 :
- ゾーイ・ヘラー (Zoe Heller) / 『あるスキャンダルについての覚え書き』(ランダムハウス講談社)
"What Was She Thinking: Notes on a Scandal" - 監督 :
- リチャード・エアー (Richard Eyre)
- 製作 :
- ロバート・フォックス (Robert Fox)
- アンドリュー・マクドナルド (Andrew Macdonald)
- アロン・ライヒ (Allon Reich)
- スコット・ルーディン (Scott Rudin)
- 製作総指揮 :
- レッドモンド・モリス (Redmond Morris)
- 脚本 :
- パトリック・マーバー (Patrick Marber)
- 撮影 :
- クリス・メンゲス (Chris Menges)
- 衣装デザイン :
- ティム・ハットリー (Tim Hatley)
- 編集 :
- ジョン・ブルーム (John Bloom)
- アントニア・ヴァン・ドリムレン (Antonia Van Drimmelen)
- 音楽 :
- フィリップ・グラス (Philip Glass)
- 出演 :
- ケイト・ブランシェット (Cate Blanchett) / シーバ・ハート (Sheba Hart)
- ジュディ・デンチ (Judi Dench) / バーバラ・コヴェット (Barbara Covett)
- ビル・ナイ (Bill Nighy) / リチャード・ハート (Richard Hart)
- アンドリュー・シンプソン (Andrew Simpson) / スディーヴン・コナリー (Steven Connolly)
- トム・ジョージソン (Tom Georgeson)
- マイケル・マロニー (Michael Maloney)
- ジョアンナ・スキャンラン (Joanna Scanlan)
- ショーン・パークス (Shaun Parkes)
- エマ・ケネディ (Emma Kennedy)
- シリータ・クマール (Syreeta Kumar)
- フィリップ・デイヴィス (Philip Davis)
- ウェンディ・ノッティンガム (Wendy Nottingham)
- アンヌ=マリー・ダフ (Anne-Marie Duff)
- 新 : 『アントニオ・バンデラス IN レッスン!』(Take the lead) / アントニオ・バンデラス
- 古 : 『主人公は僕だった』 (Stranger than fiction) / ウィル・フェレル、ダスティン・ホフマン